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観光情報

ミュージカル「福来たる」さらに楽しむ豆知識6『戦争を生き延びた伝統芸能』

淡路島西海岸に位置する「青海波 波乗亭」は、播磨灘の絶景を望む優雅な劇場であり、客席は横広く、舞台との距離が近いため、臨場感に満ちています。
7月6日から豪華ゲストを招き、新作ミュージカル「福来たる~淡路ゑびす座狂詩曲(らぷそでぃ)~」が開催中です。本公演を120%楽しめるように「福来たる」にまつわる豆知識をご紹介します!

テレビをつければお笑い芸人をはじめ、芸能人たちが笑いを誘う光景は当たり前のように毎日見ることができます。娯楽の種類が多くなかった時代、今では少しお堅く感じる伝統芸能も娯楽や教養のひとつとして愛されていました。
1937年の日中戦争より芸能人による戦地慰問が開始されました。戦地に出向いた芸能人はお笑い芸人だけでなく、歌手や俳優、演奏家、活動弁士まで多種で訪問地も多く、中国国内では北から北満、南はインドネシアまで回る方もいました。慰問団の中には悲しいことに移動中敵軍に襲撃され亡くなった漫才師もいたそうです。まさに命懸けで芸をする時代でした。

国策落語とはなし塚で読む「落語」

満州事変以前にも兵隊落語と呼ばれる噺がありましたがこれらは軍隊を風刺するもので、満州事変が起きた1931年、国は思想・風俗統制を強め、国策の啓発・宣伝や国民の意識高揚を目的とした国策落語が作られはじめました。高座で演じるだけでなく、雑誌やレコード、ラジオ放送で広められ、戦地の兵士たちを明るく励ますために戦地へ慰問に出向きました。
1940年2月には「興行取締規則」が改正され、落語家・俳優などすべての芸能団体が警視庁の管轄におかれ、「技芸者之証」を携帯するよう義務づけられます。客席には臨検席ができるほど芸能への軍部の圧力が強まった結果、泥棒やお酒、浮気などに関する53演目を指定し、自主規制という形で演じないことを決めました。翌年には浅草の本法寺に「はなし塚」を立てて塚の下に目録を埋め、石碑には「葬られたる名作を弔い」という文字が刻まれ、当時の噺家たちの演じられない悔しい思いが伝わってきます。
1945年に終戦を迎えると国策落語は姿を消し自然消滅しましたが、戦争を賛美する負の遺産である国策落語をあえて現代でやることで戦争の悲劇を後世に伝えるために2016年に2代目林家三平氏は7代目林家正蔵がつくった「出征祝」を演じました。
1946年9月30日には「はなし塚」の前に落語関係者が集まり、禁演落語の復活祭が大々的に行われましが、1947年は一転してGHQの指令により「軍国主義的」とみなされた20の演目が再びはなし塚に葬られ、7年後にGHQの日本占領終了まで検閲が続きながらも途絶えずに続いてきた歴史があります。

政治に翻弄された「歌舞伎」

1872年、当時の流行を演じることの多かった歌舞伎へ政府の干渉がはじまり、高い身分の方や外国人が見るに相応しいものを演じるよう制限されるようになりました。1923年の関東大震災の翌年、第三期の歌舞伎座竣工、1925年に興行が開始いたしました。
寄席と同じく満州事変勃発による戦争の影響は歌舞伎にも起こり、物資の欠乏が深刻になると衣装や小道具などの節約、昼夜2部制の興行形態や一流作家の新作など話題になる興行を続け昭和初期まで対応していました。
しかし1943年、興行は演目と配役まで決まりながら2月発布の「決戦非常装置要項」に基づく高級劇場の閉鎖命令のため興行は中止。その後歌舞伎座は東京都防衛局の管理となり、1945年5月の空襲で焼失してしまいました。
戦後はGHQより歌舞伎は「文学的価値のある劇は存在しない」と徹底的に検閲され、弾圧されるようになります。封建的な思想を煽る作品として上演できず、存続が危ぶまれた時期もありましたが一部の演目が上演可となり危機を脱しました。

最も大衆に人気のあった芸能「浪曲」

浪曲は今ではあまり聞かれなくなった芸能のひとつです。浪曲師は現在80名程にまで減少し存続が危ぶまれていますが戦前は最も人気のある大衆芸能でした。他の伝統芸能より時代は新しく明治時代初期から始まり、もとは「浪花節」といい三味線を用いて節と啖呵(台詞)で物語を演じます。落語、講談とともに日本三大話芸のひとつに数えられ最盛期には約3,000人の浪曲師がいました。それまで浪曲は土着的な出自のなかで育った芸能であり、文学など文化的なものとは対極にある芸能であり、同じ話芸の落語や講談からは通俗的とみられた節があります。
落語同様、日中戦争から戦意高揚のための新作が続々と発表されましたが、特に「愛国浪曲」のジャンルは軍人の偉業や美談を取り上げたもので絶大な支持を集め、レコードの人気は一般家庭まで浸透していき、戦争のために浪曲は「娯楽の王様」として文化的な国民的芸能へ変貌を遂げたのです。
しかし敗戦後は一転、GHQに愛国称賛だと危険視され他の演芸と同様に疎まれる存在となります。しかし、占領期でも地方の農漁村を中心に根強い人気を維持していたようです。1951年には民放ラジオが登場し、その大衆的人気から様々な浪曲番組が放送され、1950年代はラジオ浪曲ブームが巻き起こりました。

時代に翻弄された伝統話芸「講談」

落語の違いが今ひとつ分からないという方も多いかと思いますが、落語が会話で成り立つ話芸に対して、講談は話を読み釈台と呼ばれる小机と張扇を使って話を効果的に盛り上げます。現代と比べて識字率の低かった江戸時代では大衆へ世の中で起きている事件や軍記を読んで聞かせる話芸として“講釈”が日本中に広まり、明治時代にかけて全盛期を迎え、やがて“講談”と呼ばれるようになりました。
明治末期から大正にかけては紙媒体に講談の内容を元とした「書き講談」が人気をよび、そのひとつ出版社のひとつ講談本の成功で大手出版社となった“講談社”があります。
1895年頃の講談は約80席、人気のある席には毎夜500名以上の客が詰め掛け、各地の新聞も講談を載せ連載されるようになりましたが、浪花節や落語など民衆娯楽が充実するようになると人気は衰え徐々に下火になりました。
第二次世界大戦中は、国策への協力を強いられ、さらに戦後はGHQの思想統制により仇討ちなどの上演が禁止され講談人口は激減…1970年代前半には東京の講談師は24人まで減少し危機的状況になりました。
しかしながら1980年代から女性講談師が増え、オペラやアニメなど幅広い演目が演じられ、現在人気講談師の登場や伝統に縛られない新しい取り組みにより人気を盛り返しており、これからどのように発展していくのか楽しみな芸能のひとつです。

奈良時代から続く歴史ある芸能「能狂言」

能狂言のルーツは古く奈良時代に中国大陸から渡来した「散楽」にあるとされています。散楽には曲芸や奇術、舞踊など多種多様な芸能が含まれていましたが、平安時代に独自の変化を遂げ、笑いを誘う寸劇がやがて「猿楽」と呼ばれ、神社などの祭礼で盛んに演じられるようになりました。そこから生まれた仮面芸能は鎌倉末期から物語や歴史上の人物を歌と舞で表現する演劇へと進化し、「能」と呼ばれるようになります。
歴史の教科書で記憶に残っている方も多いと思いますが、数々の名作を生みだした観阿弥、世阿弥、音阿弥が現在の能の原点「幽玄」の世界観を作り上げ、その神秘性は世界でも評価されています。
江戸幕府が能楽を儀式用の芸能「式楽」として採用し、武将の多くが能を舞い、囃子を嗜むようになり能役者の生活も安定していました。城外で興行するには幕府の許可が必要だったため庶民の人たちは観られない芸能でした。
一方狂言は、猿楽の物真似芸の部分を受け継ぎ、室町時代にはまだ台本がなく、大まかな筋立てだけをもとにした即興芸として演じられていました。能の合間に演じられる独立した喜劇を指しますが簡素な装束を身に着け、能面を付けない「直面」で演じられることが多く、能と比べると多様な台詞や喜怒哀楽の演技、庶民の日常を描いた演目も多く言葉のリズムや滑稽な動きは現代でも楽しめます。
幕末には能狂言役者は一斉に解雇され、明治維新によって武家階級が没落すると廃業、転業を余儀なくされ、断絶した流儀もありました。しかし、外国の芸術保護政策の影響を受けて、排除していた空気は一変し「日本固有の美術」である能楽は保護の対象となります。
その後、長い戦争の時代に突入すると演劇全般は圧力を受けるようになり、能狂言も対象でした。皇室を多く題材とした能は特に厳しい状況となり、能楽師は問題のある詞章を臨時に変えながら対応したり、戦争を題材にした新作能も発表しました。
第二次世界大戦後は戦禍によって多くの能楽堂が消失するなど大きな打撃を受け存亡の危機にさらされました。歌舞伎等はGHQによって規制が厳しかったですが能楽への検閲はあったものの規制が表面化することはなかったようです。面や装束や膨大な文書は空襲で焼失してしまいましたが能楽を守ろうと流派を越えて懸命な努力に支えられ、今では海外からも高い評価を受ける伝統芸能と返り咲きました。

ミュージカル「福来たる~淡路ゑびす座狂詩曲(らぷそでぃ)~」詳細

チケットご予約・ご購入

一般     5,500円(税込)
学生(小中高)2,000円(税込)

会場・アクセス

淡路島 海の見える劇場「波乗亭」 (〒656-1723 兵庫県淡路市野島大川70)

ネットから予約する

住所 兵庫県淡路市野島大川70
無料周遊シャトルバスをご利用いただけます。
駐車場 あり(有料:500円)
電話番号 0799-70-9020
公式HP https://awaji-seikaiha.com/naminoritei/
予約ページ https://www.tablecheck.com/shops/awaji-seikaiha/reserve
営業時間 11:00~18:00(公演により異なる)
定休日 木曜日

青海波 波乗亭の詳細はこちら

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