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観光情報

ミュージカル「福来たる」さらに楽しむ豆知識2『人形浄瑠璃』

淡路島西海岸に位置する「青海波 波乗亭」は、播磨灘の絶景を望む優雅な劇場であり、客席は横広く、舞台との距離が近いため、臨場感に満ちています。
7月6日から豪華ゲストを招き、新作ミュージカル「福来たる~淡路ゑびす座狂詩曲(らぷそでぃ)~」が開催中です。本公演を120%楽しめるように「福来たる」にまつわる豆知識をご紹介します!

淡路人形浄瑠璃

「人形浄瑠璃」と聞くと何だか難しそう…と距離を置いてしまう人もそうでない人も。テレビもスマホも無い時代、日常の娯楽として淡路島でも沢山の公演がそこかしこで行われていたと知るとグッと興味が沸いてきます。
そもそも浄瑠璃とは、三味線の伴奏で太夫が物語を語ることで、浄瑠璃に合わせて人形を操ることを「人形浄瑠璃」といいます。淡路人形浄瑠璃は江戸時代以降、歌舞伎と人気を競い合って全国を巡業し、現在も各地にその足跡が残っています。「人形遣い」「太夫」「三味線」の“三業”が息を合わせ情感を込めて語る世界は今も新鮮に映ります。

ミュージカル『福来たる』といえば「戎舞」!

 戎舞は淡路島の漁祭りでは必ずといっていいほど上演され、外国公演では最も人気のある外題です。漁業が盛んな淡路島にとって漁は死活問題であり、豊漁を祈願するために人形芝居が行われてきました。
 戎舞は三味線ではなく、太鼓のリズムで太夫が語ります。釣竿を担いだ戎さまに祝い樽を持った庄屋がお神酒を出します。盃を飲み干した戎さまは自分の生まれや福の神のいわれを語りながら、世界平和、豊漁、豊作を祈って舞い幸せを運んできます。酔った戎さまは船に乗って沖に出て鯛を釣り、めでたく舞い納めるのでした。

 戦前、淡路市尾崎で行われていた人形芝居では豊漁を記念して本物の生きた鯛を客席の中のたらいに入れておき、謡いの最後に釣り上げます。ワッと歓声が上がり、ハマチも捕れますように、もう一杯と言い大きな赤い盃に酒を注いで飲み、次々魚の名前が呼ばれては繰り返されていきます。残念ながら波乗亭では新鮮な生きた魚の持ち込みは不可ですが、当時の盛り上がりを想像するだけで楽しめますね。

淡路人形浄瑠璃の歴史

500年の歴史を誇る淡路人形浄瑠璃の起源は古く、説の多くは口碑、伝説の域を越えないものでした。「三社神楽之式由来」によれば淡路人形最大の特徴である三番叟は、大阪の四天王寺より伝えられ引田家が継いだと記されています。これに今まで明らかになっている史実をつなぎ合わせると歴史が見えてきます。
鎌倉時代、淡路島には大阪四天王寺より舞楽など神事を生業とする楽人が移り住み、各地に赴き舞楽を奉納していました。『道薫坊伝記』には、その後西宮戎神社に仕えていた傀儡師(くぐつし)、百太夫が淡路の三條村(現・南あわじ市市三條)に人形操りを伝え、当時操りの人気が高かったため、神事を人形操りで行うものも現れ、これが淡路人形芝居の始まりといわれています。
三條村の辺りは、南北朝以前は淡路の政治、文化の中心地で国衙がおかれ、多くの楽人を抱えた総社(国衙の鎮守神)が栄えていました。その楽人たちの子孫が人形操りの担い手になったのであろうといわれています。(『三原郡史』)
江戸時代に入ると阿波藩主蜂須賀氏の庇護を受けて発展、享保・元文期には40余りを数える座数と1,000人近い役者を擁する最盛期を迎えました。1811年(文化8年)の「三原郡三条村棟付人数御開帳」によると、なんと144軒のうち92軒が道薫坊廻し百姓(人形遣い)との記述があり、どれだけの規模だったかが見て取れます。

今は無き野掛け芝居

 淡路人形芝居は常設の小屋を持たないことが特徴のひとつであり、屋外で上演する「野掛け芝居」を行ってきました。その影響で淡路人形は文楽人形より作りが大きく、動作も派手で語る浄瑠璃三味線も屋外の悪条件に合わせたものになっています。浄瑠璃を口ずさみつつ悦に入っている人もあり、いつしか持参の徳利で盃を重ね、重箱が拡げられて、その日の歓びを全身に表して満足感にひたっているのが眺められました。『淡路野掛浄瑠璃芝居』(宗虎亮)
淡路島の人々にとって娯楽であると同時に浄瑠璃を習うなど生活儀礼であり教養でした。文楽が男性だけで演じられるのに対し、淡路人形浄瑠璃は昔から男女関係なく演じられてきた歴史もあります。しかし明治に入ると新しい芸能に人気を奪われ、次第に衰退の道を辿り、戦争でしばらく途絶えた後、昭和41年の野掛け芝居を最後にその姿を消しました。
 人形芝居が上演される当日は早朝から客席にむしろが敷き詰められ、座布団を抱えたお年寄りが好みの席を選んで場所をとり、飼い犬まで連れてくる人もいたそうです。小中学生らが遊びまわる頃にはもうすっかりお祭りの雰囲気!焼きいか、綿菓子、冷やしジュースなどの店が開かれて芝居が始まる頃は約600人が観る超満員となっていました。観客は芝居を熱心に見物するだけではなく、淡路では「芝居は朝から弁当は宵から」という言葉があるほど座席で飲み食いも盛んでした。

淡路人形浄瑠璃が描かれた小説・谷崎潤一郎『蓼食う虫』

 『細雪』や『痴人の愛』などで知られる日本を代表する小説家・谷崎潤一郎の『蓼食う虫』では、昭和初期の野掛け芝居の風景を生き生きと説明しています。演じるものが上手ければ惜しみない喝采を送ってその一説を太夫とともにうなり、気に入らなければ大声でヤジや罵声を浴びせる。自分がひいきにしている座のことで、口論や喧嘩になることもしばしばで、島外から来た太夫の中には「淡路はこわい」と恐れた人もいたほど、淡路島の人々は人形芝居に強い思い入れと愛着を持っていたことが描かれています。

淡路人形浄瑠璃を見るならばここ!『淡路人形座』

 何世代にも渡って受け継がれてきた人形浄瑠璃を見れる『淡路人形座』。1976年に国指定重要無形民俗文化財に指定され、常設館で公演する一方、普及・発展のために各地で公演を行っています。今年はなんと60周年ということで記念イベントも要チェックです♪

『淡路人形座』へのアクセス

〒656-0501兵庫県南あわじ市福良甲1528-1地先
営業時間 9:00~17:00
休館日 毎週水曜日
車:「淡路島南IC」より車で15分
バス:「福良」より停留所すぐ前

参考:淡路人形座

しかし、演劇改良には反発も強くありました。当時、西南戦争後の日本社会は貨幣価値が下落、物価高騰に増税と大不況に見舞われ、さらに天候不順や風水害によって農村は崩壊寸前の状況。同時にコレラの流行により興行物の禁止が起こり、不況とコレラでほとんどの俳優は借金生活を余儀なくされ、芝居小屋も大きな苦境に立たされました。

ミュージカル「福来たる~淡路ゑびす座狂詩曲(らぷそでぃ)~」詳細

チケットご予約・ご購入

一般     5,500円(税込)
学生(小中高)2,000円(税込)

会場・アクセス

淡路島 海の見える劇場「波乗亭」 (〒656-1723 兵庫県淡路市野島大川70)

ネットから予約する

住所 兵庫県淡路市野島大川70
無料周遊シャトルバスをご利用いただけます。
駐車場 あり(有料:500円)
電話番号 0799-70-9020
公式HP https://awaji-seikaiha.com/naminoritei/
予約ページ https://www.tablecheck.com/shops/awaji-seikaiha/reserve
営業時間 11:00~18:00(公演により異なる)
定休日 木曜日

青海波 波乗亭の詳細はこちら

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