淡路島は島内各地でだんじり祭りが開催され、「だんじりのふるさと」と言われていることはご存じですか?だんじりといえば、大阪の泉州・岸和田や兵庫県の播州が知られているますが、淡路島はそれらより長い歴史を持つとの説もあります。今回は淡路島のだんじりの魅力についてをご紹介します。
だんじりとは
だんじりは日本の祭礼に奉納される山車(だし)を指す西日本特有の呼び名です。
永享8年(1436年)後醍醐天皇のひ孫(良王親王)が、祭りの時に「台尻大隅守」という親の仇を討つことに成功し、「台尻(だんじり)を討った」と言ったことから、飾り船を『台尻』と呼ぶようになり、祭りに出すようになったとのことです。(※所説あり)
淡路島のだんじりのはじまり
元禄6年(1693年)郡家浦(現在の淡路市)の船乗りが乗った船が、嵐のため遭難にあったが何とか無事に助かったことから、海と船に感謝した浦人が舟だんじりを伊弉諾神宮に奉納したことが始まりだといわれています。(※所説あり)
寛保3年(1743年)頃からだんじりは大型化し、明治23年(1890年)頃から島内各地で競ってだんじり造りが行われ、仕様は豪華になっていきました。
淡路島のだんじりの魅力
地区ごとに違った多彩な魅力
淡路島各地には300を超す神社があり、350基以上のだんじりがあると言われています。
地区ごとに形態はさまざまで、迫力ある大きな赤い布団が乗った「布団だんじり」や、元祖といわれる「舟だんじり」など6~7種類あります。地区ごとに違った魅力があり、これほど多彩なだんじりは、全国でも淡路島だけです。
美術工芸品の魅力
淡路島は地車・太鼓台の産地であり、彫刻・刺繍の匠が多く、岸和田や播州のだんじり彫刻にも携わってきました。幕末から昭和初期にかけて淡路から大阪に多数の地車が海を渡って行ったそうです。
現在でもぼかし刺繍は迫力があり、とても見ごたえがあります。布団締めの龍の刺繍や提灯の刺繍、鬼面もめずらしく、淡路島のだんじりの魅力です。
だんじり唄の魅力
だんじり唄も淡路人形浄瑠璃発祥の地である淡路島ならではの文化です。
淡路島にだんじりが入ってきた初めの頃は、ただ拍子木に合わせて掛け声をかけたり、簡単な囃子をしていた程度でしたが、江戸末期から明治の初めにかけて、伊勢音頭や祇園ばやしのほか、各地の民謡などを取り上げて唄らしくなってきました。
明治20年(1887年)頃、島内各地で布団だんじりが造りだされたのを機に、淡路独特の民俗芸能である「だんじり唄」となりました。だんじり唄は別名「浄瑠璃くずし」とも言われ、淡路人形浄瑠璃の外題(演目)や歌謡浪曲をもとに、名場面を抜き取り脚色し浄瑠璃や民謡調の節回しを付け、さらに日本の伝統芝居、話芸などを取り入れながら、独自の団体芸に昇華した、淡路島の代表的な郷土芸能です。
現在では「だんじり唄」の保存・継承を目的とした団体が60組ほどあり、子どもから大人まで、祭り以外でも活動しています。
淡路島でしか見れない提灯組
「提灯組」は淡路島の湊口八幡神社の文化で、小学校1年生から祭りに参加できます。朝早くから締太鼓を担ぎ、1件1件お家をまわり、日本囃子の唄を奉納します。
女性も活躍
だんじりは昔は男性しか参加できなかったのですが、淡路島では女性が参加できるものも増えてきました。とくに岩屋のだんじりは女性が主役です。
また少子化で太鼓を叩く子どもたち「乗り子」の人数が足らず、女の子も積極的に参加しています。
まとめ
淡路島のだんじり祭りは春と秋に開催されます。近年はコロナ禍で開催が見送られているところもありますが、開催しているところもあります。
「だんじりのふるさと」淡路島のだんじりをぜひ見に来てください。
参考文献:
”民族スポーツとだんじり祭り”.http://www2.sensyu.ne.jp/kykz0311/minzoku.htm.(参照:20223.2.21)
“淡路島のだんじり祭り、その魅力とは”.https://awajidanjiri.jimdofree.com/.(参照:20223.2.21)
“淡路島の春は、「だんじり」とともにやってくる。”.神戸っ子.https://kobecco.hpg.co.jp/14713/(参照:20223.2.21)
“だんじり”.『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』.https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A0%E3%82%93%E3%81%98%E3%82%8A.(参照:20223.2.21)
『淡路之誇 下』片山 滴園/編纂,実業之淡路社,1932
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